薄荷脳の夢

1日1冊読みたい、とある勤め人の読書記録と日々のよしなしごと。ミステリとホラー多めだけどかなり雑食。

「アルキメデスの大戦」を見てきました。

 先日、妹とアルキメデスの大戦を見てきました。

 予告編等で気にはなっていたのですが、1人で見に行くほどではないな、と思っていたところに、妹に誘われたので一緒に見てきたのです。

 私は天才数学者がその頭脳を武器に戦う、みたいなストーリーが好きなので見たかったのですが、歴史モノも戦争モノも嫌いな妹がなぜ見たがったかというと、単に菅田将暉のファンだからだそうです。ファン心理ってすごい。

 私も戦争系の映画はあまり得意ではありませんが、数学者が主人公の話だしそんなに悲惨な場面はないだろう、とタカを括っていたら、冒頭から戦艦大和の沈没シーン。

 無数の飛行機に攻撃されどんどん乗組員が死んでゆくのに対し、大和の砲撃はほとんど飛行機に当たらない。そしてとうとう戦艦大和は3,000人の命と共に海の底へ……。

 いくら映画でフィクションとは言え、大和の沈没は実際の出来事。そう思うと胸が押し潰されそうになり、ひどいようなら途中で退席しようかとすら考えました。

 しかし結論からいうと、戦争らしいシーンはそれぐらいで、最後まで面白く見てしまいました。

 話は大和が沈む12年前、1933年から始まります。

 海軍内では時代遅れになりつつある巨大戦艦を造ろうとする一派と、これから主流になるであろう航空機のために空母を造ろうとする一派が対立を深めていました。

 空母推進派の山本五十六は、会議に提出された戦艦の見積もりが異様に安いことに目をつけ、本当はどれ程の予算が掛かるのかを算出し、いかに金の無駄遣いになるかを示すことで相手の計画を破綻させようとします。

 そのために、五十六は元帝大生の数学者・櫂直を軍にスカウトしようとします。軍が嫌いな櫂は初めこそ反発しますが、戦争を止めるためならと五十六たちに手を貸す決意をします。

 櫂は少佐となり、部下の田中少尉と共に予算の調査に当たります。

 田中少尉は生粋の軍人といった感じの人物で、ぽっと出で軍のことが全く分かっていないのに、いきなり少佐になった櫂のことを快く思っていませんでした。

 しかし、行動を共にする内に櫂の才能や実行力を目の当たりにし、彼のことを見直すようになります。そしてだんだんと信頼しあうようになるのですが、そこがこの映画の見どころのひとつだと思います。

 このふたりですが、とにかく走り回ります。戦艦のデータがないと計算することが出来ないのに、機密情報だからと見せてもらえない。そこでふたりは戦艦長門に乗り込み、巻尺と歩数で測って地道に戦艦についてのデータを収集します。

 建造日数と人件費についての資料がないとなれば、下請けの民間造船会社に出向き頭を下げて見せてもらえるよう頼んで回ります。軍の圧力のせいで東京では見せてもらえず、大阪の会社ならもしかして、という情報を元に今度は大阪まで出向きます。

 想像していたようなクールな頭脳戦ではなく、いっそ泥臭いような努力の積み重ねで展開する映画でしたが、ふたりの一生懸命さに心を打たれました。

 戦争を止めるため東奔西走する櫂ですが、ラストはとても皮肉な終わりかたをします……。

 それでも見終わった後に面白かった、とためらいなく言える映画でしたし、今でも見に行って良かったと思っています。

 それより1番衝撃的だったのは、見終わって妹とひとしきり面白かったね、と感想を言い合っていた時、「ところで戦艦と空母って何が違うの?」と言われたことです。え、それ結構ストーリーの重要な部分……。

 ま、まあとりあえず、そういった基礎知識がなくても菅田将暉目当てでも楽しめる映画ということにしておきましょう……。

 

『舞妓さんちのまかないさん』

 定期的に京都に行きたくなります。

 東北住みで滅多に行けないというか、修学旅行で1回しか行ったことがないんですが。

 でもやっぱり趣きのある古い町並みや、歴史のある寺社仏閣には心惹かれるので、ガイド本や京都が舞台の小説やマンガを読んで行きたい欲を満たしています。

 そんな訳で、私の本棚には京都本がたくさんあるのですが、最近は『舞妓さんちのまかないさん』がお気に入りです。

 このマンガの主人公、キヨは舞妓さんたちが共同生活する「屋形」でまかないさんをしています。

 まかないさん、というのは専属の料理人のようなもので、キヨは16歳ながら屋形という大所帯の食事の一切を切り盛りしています。

 料理人といっても、お店で出てくるような特別な料理は作りません。キヨが作るのは一般的な家庭料理や、キヨが生まれ育った青森の郷土料理ばかりです。

 しかしキヨは毎日、どんな時も舞妓さんたちのために手を抜かず、きちんとした料理を作ります。普通のことのように思えますが、それをずっと続けるというのは、意外と難しいものです。

 そんなキヨの料理に、舞妓さんたちを始め屋形の関係者たちも癒されたり励まされたりして、読んでいるこっちまでなんだか元気づけられます。何より料理がほんとうに美味しそう。

 ずっとほっこりした気持ちで読める『舞妓さんちのまかないさん』ですが、私はあることを恐れてずっと読めずにいました……。そう、それは女だけの共同生活ものにありがちな、ドロドロ展開! 嫉妬で足を引っ張ったり、ひとりを仲間外れにしたり、女の怖い部分が出てくるようなマンガだったらどうしよう、と手を出せずにいました。読んでみたら全くそんなことはなかったのですが。

 そもそも主人公のキヨからして、一緒に青森から舞妓さんになるために出てきた幼なじみが舞妓さんデビューする時、自分は舞妓さんに向かなくてなることが出来なかったにも関わらず、やっかむこともなく心から幼なじみにおめでとうと言える心根の持ち主です。

 他の人たちも、プリンの取り合いでケンカしたりすることはありますが、泥沼展開からは程遠い存在です。

 そもそも、女だけでいると陰湿なイジメが発生する、という話は結構ありますが、かなり偏見が入っているような気がします。私は女子大出身ですが、全くそんな事態に遭遇することなく4年間を過ごしましたし、共学だった高校・中学時代の方がよっぽど女の陰惨な面を見聞きしました。

 とりあえず、『舞妓さんちのまかないさん』はそんなことはなかったので、そういうのが苦手な人でも安心して読めます。

 

とにかくカッコイイ『COCOON 修羅の目覚め』

 久しぶりに本をジャケ買いをしてしまいました。

 買ってしまったのは『COCOON 修羅の目覚め』(夏原エヰジ)。イラストレーターのマツオヒロミさんが表紙を描いていて、黒と赤を基調とした装丁ですごくカッコイイのです。

 ここしばらく、表紙で選んで買うと失敗しがちだったのですが、これは文句なしに中身もカッコよかったです。

 

 

 

 舞台は江戸時代、天明期の吉原。主人公の瑠璃は唯一無二の美貌を誇り、吉原の大見世「黒羽屋」で1番上の位である花魁を務めています。

 しかし、それは表の顔。夜になると江戸を脅かす「鬼」を退治する闇組織「黒雲」の頭領として、刀を手に異形の者と戦います。

 瑠璃は並外れた身体能力を持ち、治癒能力も常人のそれとは段違いなのですが、それは彼女の出生に秘密が……。

 

 鬼が瑠璃の持つ妖刀でしか倒せないところとか、鬼に対処する闇組織とか、読んでいて「BLOOD」シリーズを思い出しました。

 やっぱり日本刀で戦う美女(美少女)っていいですよね。その手の作品は数多くありますが、花魁が戦うものはなかなかありませんし、何より唯一鬼を倒せる圧倒的な強さに惹かれます。

 裏稼業はもちろん、瑠璃は黒羽屋での花魁としての仕事もきちんとこなします。道中で見事な外八文字を披露しますし、客への文も代筆ではなくちゃんと自分で書きます。

 それも普通なら子供の頃から何年もかかるものを、十五になって黒羽屋に売られてから瞬く間に習得したそうです。

 なので努力型の主人公が好きな人には、あまり好まれないヒロインかもしれません。逆に、天才とか超人系の主人公がバンバン活躍するような話が好きな人にはオススメです。

 他のキャラクターたちも、妖怪だったり瑠璃のことが気に食わない同僚だったりと個性的で、吉原という舞台設定もしっかりしていて、世界に入り込める感じが良かったです。

 ちょっとだけ気になったのは、吉原の廓の事情や人間関係、鬼についてなど、説明的な部分にページを取られていて、ストーリーが少し薄まってしまったように思います。

 5巻まで刊行予定の1冊目というこで仕方ない部分もあるので、この辺りは次巻以降に期待したいと思います。

 それでもアクションシーンはしっかりしていて読み応えがありますし、エンターテインメント小説らしい読む楽しさのある本でした。

日本の夏、怪談の夏その2『幽剣抄』

 ブログを始めて1週間ほど経ちますが、未だにちょうどいい文体が掴めずにいます。

 少し話し言葉に寄せた方が書きやすいし読みやすいような気がするのですが、他の方から見てどうなのでしょう。

 さて、先日からの怪談ブームが去らず、近頃はひたすら怪談本を読み漁っております。

 今日読んだのは菊池秀行の『幽剣抄』。

 菊池秀行といえば「魔界都市〈新宿〉」シリーズや「吸血鬼ハンターD」などが有名ですね。私も中学生の頃、父に借りてよく読んでいました。でも大人になってから考えると、普通なら娘に貸す本ではないよねって感じがします。まあ、面白かったのでいいですけど。

 先に断わっておきますと、『幽剣抄』には菊池作品に特有の超絶美形な超人主人公は登場しません。あくまで江戸時代の下級武士たちと、それを取り巻く人々にまつわる怪異を描いた小説です。

 ドクターメフィストやDのような派手な美形はいませんが、地道に剣の道に生きる男たちの渋いかっこよさがあります。たぶん中学生の頃に読んでいたら、このかっこよさに気づけなかったのではないかと思います。

 この本は短編5話と掌編4話が交互に配置されているのですが、個人的には掌編の方が怖かったように思います。短編も面白かったのですが、仇討ちなど幽霊が出てくる活劇といった雰囲気で、掌編の方が純粋に怖い話らしく感じました。

 中でも1番怖かったのは「茂助に関わる談合」。深夜、館林甚左衛門の元を甥の喜三郎が訪れます。先だって世話してやった茂助という若党のことで来たそうですが、どこか様子がおかしい……。と、大体こんな話なのですが、何かがおかしい、変だという違和感に引き込まれて読んでいる内に、あの身の毛がよだつ結末がやってくるのです。

 読んでいる間は不気味さが先立ちますが、読み終えた瞬間に怖さがぞ〜っと襲い掛かってくる一篇です。

 他の掌編も恐怖や不条理に満ちた粒ぞろいで、いっそ掌編だけ集めた本を読みたいくらいでした。

 

くねくねを見た話

 先日は怪談本を紹介しましたが、今日は私が唯一見かけた、不思議なものの話をしたいと思います。そんなに怖くはないと思いますが、その手の話が苦手な人はご注意ください。

 あれは20年近く前、小学校低学年だった頃のことです。通っていた小学校が小高い山の上にあったので、毎朝急な坂道を登って通学していました。

 坂の片側は崖といいますか、けっこう急な山の斜面になっていて、その斜面の上あたりに学校の隣の公園がありました。

 ある日、いつものように友人と坂を登っている時、ふと上を見上げてみると、何か黒いものが崖の上に立っていました。

 それは人の形をしていましたが、顔があるとか服を着ているとか人間らしいディテールが一切なくただ真っ黒で、影が立ち上がってそこにいるようでした。立っている場所も公園にある柵の外側の、斜面ギリギリのところで普通人が立ち入らない所でした。

 で、そいつはなぜか腕を大きく振り回していました。振り回す、というよりも少し複雑な動きで、何かどこかで見たような……

 あ、パラパラだ。ちょっと規則的というか、リズミカルに腕を大きく動かす様が、その当時まだ流行っていたパラパラに似ていたのです。

 そして心の内にだけ留めておけばいいのに、クラスメイトや家族に「パラパラを踊っている幽霊を見た!」と言ってしまったので、「幽霊がパラパラを踊るワケないじゃん」とバカにされる羽目になりました。

 話す人話す人みんなに否定されている内に、だんだんと見間違いだったんじゃないかと思うようになり、最近までそんなものを見たことは忘れていました。

 なぜ今になって思い出したかというと、ネットで「くねくね」という都市伝説の存在を知ったからです。

 くねくねというのは、田園地帯に出没しくねくねと動く謎の存在で、その正体を知ると精神に異常をきたすとされています。

 私が最初に知った話だとくねくねの色は白だったのですが、調べていると黒いくねくねもいる、という情報に行き当たり、そういえば小学生の頃見たアレってそうじゃない? と思い出した次第です。パラパラじゃなくてくねくねだったワケですね。

 ただ、見たのが出没地帯とされている田んぼではなく山の上ですし、色も多数派の白ではなく黒なのでやっぱり何かの見間違いかな、という気持ちが強いです。朝の人気のない公園でパラパラを練習していた人とか。(それはそれで謎……)

 そもそも見たら精神に異常をきたすそうですし。いや、正体までは分からなかったからセーフなのかな?

 ちなみに、当時一緒に登校していた友人にこのことを訊いてみたら「るかが坂の途中で何か見たって言ってたのは覚えてるけど、それ以外は覚えてない」とのことでした。……とりあえず、私が何か見たことだけは確かなようです。

日本の夏、怪談の夏『拝み屋異聞 田舎怪異百物語』

 夏になると怪談が読みたくなります。最近はテレビで心霊番組をやらなくなったので特に。

 今日読んだのは『拝み屋異聞 田舎怪異百物語』。作者の郷内心瞳氏は宮城県内で拝み屋をしており、その体験を元にした怪談本を何冊も出版しています。

 今作も、旧家で行われた百物語会に呼ばれた際に起こった出来事を軸に、作者が見聞きした怪異が百話収められています。

 実は、私も宮城県内に住んでおり、家の周りは田んぼと畑しかないド田舎です。

 私はお世話になったことがないけれど、うちの町内にも拝み屋さんがおり、ある地区で人死にが立て続けに起こった時にはお祓いをしたりするような土地柄なので、今回のような田舎をテーマにした怪異譚は、とても親近感が湧きました。

 宮城の田舎についてですが、蛇に取り憑かれた女性を祓う第四十二話にこんな一節があります。

 特に街場に暮らす人にとっては、今時、蛇や狐が人にとり憑くなど、おとぎ話の世界のように感じてしまう向きも少なくないと思うが、宮城の田舎における現実は、斯様のとおりである。

 この十六年間、野山の獣にとり憑かれた者を数えきれないほど手掛けてきたし、これから先も地元で拝み屋を続ける限り、手掛ける機会があるのだと思う。

(『拝み屋異聞 田舎怪異百物語』より)

 うん、あるらしいですね、そういうの。町内に拝み屋さんがいるくらいだし、取り憑かれる人もいるのでしょうけど、我が家は祖父がその手の話が嫌いなので、全くそういった情報が入ってこないのです。

 この祖父という人が、昭和一桁生まれで今年米寿になったとは思えないくらい合理的な考え方をする人なのです。

 人魂と言えば、昔は土葬だったから死体から発生したガスに引火したせい。昔、どこそこのナントカさんが狐に化かされてお土産の寿司を取られたという話は、酔っ払って自分で食べたか失くしたかしたのを狐のせいにしてるだけ。と、この世には不思議なことなど何もないと言わんばかりに論破してしまいます。

 そんな夢のないことを言う人が身近にいるせいで、余計に怪談の世界にのめり込んでしまった気がします。

 その点、郷内氏の諸作品は怪異を怪異のまま、筋道立てて解決するので安心して読めます。しかも『田舎怪異百物語』は珍しくハッピーエンドといいますか、明るい終わり方なので初めて郷内氏の本を読む方にもオススメです。

 

拝み屋異聞 田舎怪異百物語 (イカロスのこわい本)

拝み屋異聞 田舎怪異百物語 (イカロスのこわい本)

 

 

イリアスと私

 小学生の頃、たかしよいちの「まんが世界ふしぎ物語」シリーズが好きでした。特にシュリーマントロイア遺跡を発掘する『よみがえる黄金の宝』の巻が好きで、何度も図書室から借りてきて読みました。

 なぜいきなりこの話をしたのかというと、Fate/Grand Orderでパリスが実装されたからです。先日のアキレス腱の話も、パリス→トロイア戦争アキレウスという流れで思い出したので書いてみました。

 

 トロイア戦争と言えば、ホメロス叙事詩イリアスが有名で、冒頭に挙げたシュリーマンも幼い頃、父親に読んでもらったイリアスに影響を受けて、遺跡を発掘しようとしたとか。(現在ではこの話の真偽が怪しいとされているそうです)

 FGO内でもアレキサンダーイスカンダルが愛読書にしており、世界的に広く読まれている本ですが、実は私、イリアスにはちょっと苦い思い出があるのです……。

 高校の頃、世界史の期末テストでのことです。範囲は古代ギリシャの辺りで、シュリーマントロイア戦争も出てきました。それで、最後の方の設問に「トロイア戦争について書かれたホメロス叙事詩を答えよ」というものがありました。

 えーと、なんだっけ、あ、イリアスだ、と他の問題と同じように解いて、その時は特に印象に残るような問題でもなかったのです。

 しかし、テスト返却の際、この設問について生徒の間から「授業でやってないから、この問題はナシにしろ」という声があがったのです。先生は「教科書と資料集の指定のページから、授業でやったやらないに関係なく出題すると予め提示していたから取り消さない」と取り合わず、しばらく生徒たちとの間で応酬が続きました。

 私はといえば普通に正解していましたし、古代ギリシャ史は好きだったからけっこうイイ点取れたしで、この問題がナシになってその分の点数がはずれた人にも加点されようが何しようがどうでもよかったので静観していました。

 その間にも議論がヒートアップし、誰かが「こんなの誰も正解できないじゃないですか!」と食ってかかりました。そしたら先生が「でも、るか(私のこと)は当たってたし」と言ったのです。

 その後の沈黙の居心地の悪さと言ったら……!

 多分静まり返っていたのは一瞬だったのでしょうが、お前……! という視線で針の筵になっていた私にはかなり長い時間に感じられました。

 別にその後いじめられたりしたワケでもないんですが、先生が私の名前さえ出さなければ、ちょっとテストでいい点が取れただけで終わったのに、一瞬とはいえクラス中を敵に回すという変なケチがついたと、今でもときどき思い出すのです。ほんと、名前出すことないじゃん……。

 でも、クラスで1人だけイリアスを答えられたご利益(?)なのか、FGOアキレウスが実装された時、ガチャで1発で召喚できました。でも、その時は別のサーヴァント目当てで回したんですけどね。